過去から今へ

おいらは過去は、引きずるタイプ。

どれくらい引きずるかって、下手すれば1年以上。

 

今の彼氏、ひろあきと付き合う前、とても好きな人がいた。

その人とは、付き合ってた。

けど、自分のせいで?別れた。

半年とちょっと付き合ってた。

別れた後のおいらは、何もする気がなかった。

毎日何もしないで、ただひたすら、別れた日の事だけを考えていた。

考えたくはなかった。

それでも、知らないうちに考えていて

布団に入ってから2〜3時間は眠れなかった。

その人の夢も、たくさん見た。

朝目覚めると、涙が出ていた。

忘れようとして、苦しみから逃れようとして、

別の人と付き合った事も、少しあった。

それでもその人たちは、おいらの一番にはなれなかった。

その中の1人には、逃げられたりもした。

でも、特に何も感じなかった。

そんな時にも、彼と別れた日の事ばかり考え

その事で、涙を流した。

何度も、復縁に臨んだ。

その時のおいらは、がむしゃらだった。

ただ夢中に、彼の心変わりを望んでいた。

今思うと、大変悪いことをしたと思う。

その時のおいらは、今自分で考えてみても、気味の悪いものだったと思う。

その結果、彼にとっておいらは怖い存在となり

別れた当時よりも、悪い仲になってしまった。

・・・もはや、生きている意味もないと考える程だったおいらは

結構病んでいたと思う。

 

それでも、こんなおいらでも

今は、それなりにちゃんと生きている。

やはり人間とは、忘れる生き物だから。

生きる為に、辛く苦しい事は、

時が経てば忘れる仕組みになっている。

たぶん、病んでいた間にも

もう、記憶の風化は始まっていたと思う。

ただ、それに気付かずに

"彼"という幻影を

無我夢中で追いかけていた。

"今"という現実を、見ようとしないで

過去ばかりを、執念深く見つめ、すがりついていた。

とあるDには、

「お前はひたっていたいだけだ」

と言われたが

当時のおいらには、まったく耳に入らなかった。

でも、結局はひたりたいだけだったのかもしれない。

では、何がおいらを現実に引き戻してくれたのかというと、

それは、ひろあきだった。

と思う。

何故、"と思う"という曖昧な表現かというと

それは、所詮極論であって、

その間には、色々な人の支えや意見等が

多少なり、影響しているだろうから。

いつかの日記にも書いたが、

ひろあきが想いを伝えてくれた当時は、

おいらの気持ちは、ひろあきに100%ではなかった。

はたから見れば、ひろあきと付き合いだした時は

"ZACLOは過去を忘れる為に付き合ったのだ"

と思われて当然だったかもしれない。

そして、この考え方は

それを正当化するものと思われるだろう。

確かに、言い方によってはそうなるかもしれないが、

言うならば、それは過去を忘れる為、というか

過去が自分の中で風化している事を気付く為には

別の誰かに想われる、という事は

絶対不可欠なものではないか、と思う。

もちろん、本気で想ってくれている気持ちを

軽はずみに弄ぶ、つまり

"遊びで付き合う"ということは、

あってはならない事だと想う。

しかし、それはこっちに、"想いに答えてあげよう"

という気持ちが、ない場合の話であって

"この人なら"という気持ちがあれば

例え最初は100%想い合っていなくとも

付き合っていく上で、気持ちを育む事は可能だと、

おいらは想う。

 

この、おいらとひろあきの話は

単なる一例であって

要するに、

別れの傷を癒す過程に於いて、

その傷を完全に癒してから次の恋に移るなどということは

ほぼ無理に等しいということだ。

まだ、彼自身に未練がある場合は別だが

大抵は、その過去という幻影を追っているだけなのだ。

過去で思い出と戦っている間には気付かない。

在る日突然、ふっと気付くと

つい今まで戦っていたその辛く苦しい"気持ち"は

もはや原因となる事柄の今の"本人"に向けられているのではなく

その本人と過ごした、それも美化された"過去の思い出"なのだ。

そこで、それに気がついた時に冷静になって考えてみると

今、何故その彼に異様なまでに執着しているのか。

自分が欲しているのは、"彼"ではなく、"思い出"なのだ、と

気付くはずである。

そして、それを気付かせてくれるもの、

それこそが、"新しい恋"なのだと、おいらは思う。

しかし、"恋は、するものではなく落ちるもの"という言葉がある。

幻影を追っている間、自分から恋に落ちるのは、難しい事だろう。

そこで必要なのが、"誰かに想われる"事ではないだろうか?

想われる事によって、自分はようやく

幻影から目を反らし、その気持ちを多少なり意識するであろう。

そこで初めて、我にかえり

相手の"気持ちを多少なり意識する"という段階から

自分も想いを寄せてしまう、というケースがうまれる。

つまり、"想われる事によって、恋に落ちる"のだ。

 

"過去を想う"事が、

辛く苦しく、そこから逃れたいのであれば

"誰かに想われる"ような人間になるべく

自分自身を磨く事が

一番大切なのかもしれない。

 

・・・おいらができていたのかどうかは別として、、、ね?苦笑

[戻る]

 

 

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送